考えごと。残念ながら今日はネガティブなことしか出てこない。
原発事故のこと、放射性物質に囲まれて生活しててそれに慣れて忘れてしまってること。
やがてきっとたくさんの人が病気でしんでしまうことと、それを目の前の実生活と結びつけてとらえることがうまくできないこと。
僕らの日々(を認識している主体、自分)は、どうしても視覚に頼っていて、
「目に見えないこと」は時々信じにくい。
でもほんとうは「目に見えないこと」たちのなかに大切なことはたくさんある。

サトちゃんがこの世に残したすごい歌詞を思い出す。
人はいつでも 見えない力が 必要だったりしてるから
悲しい夜を見かけたら 君のことを思い出すのさ

僕らが信じることの出来る恋や愛や、そういうものだって「目に見えない」。
一方、この先何十年も、言い方を変えれば今ではなく数年後から数十年後にかけて、きっと僕たちから大切なものを奪いまくる放射性物質も「目に見えない」。

愛だとかいう言葉がこっぱずかしいなら、それをそのまま「大切な人を大切だと思う気持ち」「大切な自分を大切だと思う気持ち」と置き換えてもいい。
そういうポジティブな「目に見えないこと」なら、僕らは信じることが出来て、それに向かって突っ走ることさえ出来るけど、

ひとたびネガティブなことになると、「目に見えないこと」は信じたくなくて目を背けて、考えの外に無意識に押しやってしまう。日々の、目の前の、いろんなことに紛れて思考停止になってしまう。
そりゃそうだ、その方が楽だもの。
正常に自己防衛の機能が働いてるなら、自分にとって悲しい現実からは目を背けてしまうように、人の気持ちの仕組みは出来てると思う。

ポジティブなものとネガティブなもの、ふたつの相反する「目に見えないこと」同士を、結びつけて考えることがうまく出来ない。
でもほんとうはふたつは密接に関わっていて、
ネガティブな「目に見えないこと」はポジティブな「目に見えないこと」をやがてむしばんでしまう。

目に見えないからといって、目に見えないことから無意識に目を背けてしまっていること、その裏でどんどん時間は進んでいるのだということが、今現在の僕らの事実なんだと思う。

「慣れ」という、人に備わった重要な自己防衛機能は、時としてそうやって、よくない方へ向かって働いてしまうから、
そこにきちんと目を凝らしていないといけないんだと思っています。




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